火葬場という場所で.

2018年2月6日死産の記録

土砂降りの中,火葬場に向かった.

ナビの示す方に車を走らせていくうちに,
建物がまばらになっていった.

さらに進んでいくと建物はまったくなくなり,
まわりには木くらいしか見えなくなり,
すれ違う車も1台位しか通らなくなった.

土砂降りのせいもあって,とても心細くなった.

しばらくして火葬場の門が見えて,
敷地内を奥に進んでいった.
それでもまだ建物は見えなかった.

暗く,とても寂しい道だった.

ようやく建物が見えた.
入り口には黒いスーツを着た女性が立っていて,
深いお辞儀をしていた.

私は,この子が雨に濡れないように,
先に入り口のところで下ろしてもらった.

名前を伝え,中に通してもらった.

夫は駐車場に駐めてから,合流した.

最初に事務所に通され,書類を提出したり,
料金を払ったり,骨壷を預けたり,
そんな手続きを済ませた.

ふと,黒板を見ると,
スケジュール表が目に入った.

1時間おきくらいの間隔で,名前と年齢が書かれてあった.
朝から何人も焼かれていったみたいだった・・・.
ここではそれが普通のこと.

ここの場所だけ,日常とは違う場所みたいな感じがした.
この世と,あの世の途中みたいな場所.

はやく来すぎてしまったようで,
待合部屋で待っているように言われた.

広い和室に私たちはすみのほうにぽつんと座った.

すぐにエンゼルボックスの箱を開けて,顔を見た.

入れたものたちはきちんと入れた時のままになっており,
花びら一枚にいたるまで,その場を一切動いていなかった.

だから,とてもきれいな状態でうちの子は眠っていた.
安心した.

次に呼ばれたら,もう最後だから,
ずっと見つめた.
見つめても見つめてももっとずっと見つめていたいと思った.

夫と話をした,
ドライブ楽しかったよね,
海にも神社にも行ったし,
神様にちゃんと空に連れてってもらえるようにお願いしたし.

やりたいことはやったよね.

きっとこの子は幸せだった.

生まれる前に亡くなったのに,
幸せもなにもないかもしれないけれど.

それでもできるだけ,なにかしたいという気持ちは,
いつでも心にあって,

親というものは,子どもに対してそう思うものなのかもしれない.
生きて生まれても,死んで生まれても.

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Posted by poyogami