出生前診断を受ける意味

2018年3月20日出生前診断, 死産の記録

検査をする理由は,夫婦それぞれにあっていい,そう思う.

私は検査をすると決めたときからずっとずっと検査のこと,障がいのことばかりを考えていた.
それしか考えられない.

幼稚園の実習先にいた障がいを持った園児のことを思い出したり,
障がい児の授業で習ったことを思い出したり,
障がい児を育てるってどんな生活なんだろう,
そもそも何が出来て何が出来ないんだろう.
障がいっていったってさまざまだろうし,
日本での障がい者への福祉はどうなっているんだろう・・・

どんどんありとあらゆる疑問が疑問を呼んで・・・
なんでもかんでも検索をかけて
朝から晩まで検索検索・・・検索魔になっていた・・・.

とにかく調べて,調べて...

まだ受けてもいないし,陽性が出たわけでもないけれど,
検査を受ける意味を自分で納得することが出来ていないとこの子に対して申し訳が立たないと思った.

私は,保育を専攻してきたことあって,障がい児について考える授業も受けていたし,障がいのある子どもと接する機会もあった(多くはないけれど)そういうこともあって,わりかしほんの少しは理解があるのでは?と思っていた.プラス,障がい児を持つ方のブログなども見たこともあったから,大丈夫なんじゃないか?と思うところもあった.

旦那のほうは,医者として障がい者の家族を見てきている.
障がいを持って生まれた子は,数々の合併症で入退院を繰り返すことがあり,そういった家族は疲弊しており,振り返ってみれば,幸せそうな家族と出会ったことがない,と・・・.

我が子は自分より先に死んでしまうかもしれない.
自分より長く生きたとしてもその子はその後の人生をどうやって生きるのか?
幸せに生きられると思う?

次の子を望んだ場合,どうなる?上の子に手がかかるのに,しっかり育てられるか?
もし私たちより長く生きたら,次の子が面倒をみるの?その負担はどれほど?
次の子の幸せは?結婚だってできるのかわからない.

旦那のほうは,そういうことを思っていて,一つ一つに答えを出そうとしてはつまづいたりして,という状況だった.

それを聞いて私は恥ずかしいことに,子ども時代のことばかりそれもいいところだけの情報しか持っていなかった事に気づいた.(目を向けようとしなかったのかも・・・)

子ども時代は,健常児だって何もできないことが当たり前だから,健常児と障がい児の差がそれほど開いてはいない.
小さいしかわいいからそれほど大変じゃないかもしれない.
安易だったと思う.

けれど,大人になったら・・・?

力も付くはず.癇癪を起こしたら抑えられる?
私の体力はどんどん落ちていくのに.

ブログとかで見かける方はイキイキして育てている方ばかりだけれど,それは子供時代のことばかり.
大人を育てる人はそうじゃない人もたくさんいるのかな・・・そういった部分はあまり世に出ない部分.隠された部分なのかもしれない.

でも探そうとして調べるとでてくる.
すると,

性欲が抑えられなくて,女子トイレに突進してしまう,とか,
女の子に抱きついてしまう,とか
自分(保護者の方)よりも大きくなって,暴力を振るわれる,排泄物を投げられる,とか
そういうことに悩んでいる方もいた.
衝撃的だった・・・.

判断するにあたって,いろいろな情報が欲しかった.
いろいろな可能性を見出したいという思いもあった.

実際に会った人ではなく,ネット上の情報,そんな正しい情報なのかさえ分からないものもとりあえずなんでもかんでも検索してしまう,そんなおかしな状態だったから,これらを判断の材料にするのは危険で,もっと精査するべきなんだけれど,とにかく多くのことから判断したかった.

こうやって調べても,
そもそも出生前診断で調べられることは,ごくわずかな障がいだけで.
生まれてきてから分かるものだってあるし,
健康な子どもが事故や病気になって障がいが出てくるかもしれない.
出生前診断が陰性でも,そのあと障がいがわかったら,あったら,
出生前診断をする意味はあるのか・・・

こんなふうに次々と生まれるよくわからない思い・・・

旦那ととことんよく話し合った.
とことん話し合って,

それでも私たちは,やっぱり受けることにした.
すべての疑問が解消されたわけではないしむしろ出てくるけれど,
時間も足りないけれど

受けられる検査はしよう
結果を見て考える.

私たちはそうした.

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